4月23日 京都府伏見区
修学旅行の二日目。麻帆良の生徒達は各班に分かれてそれぞれ京都、奈良へと散っていった。
エヴァ達一行は、エヴァの雀の丸焼き食いに行くぞという一言で、まだ酒が体に残る士郎を風呂に叩き込んでから、伏見稲荷大社へと向けて旅館を出た。
本殿に参拝してから、稲荷山に続く千本鳥居にエヴァと士郎は感嘆を漏らした。それから道なりに稲荷山一ノ峰までのお山詣の道を行く。
士郎のすぐ隣を歩くエヴァ。今日は何だがエヴァが近いと感じながら、お山詣を済まし麓まで降りてきた。
そして稲荷大社へ来た本来の目的、雀の丸焼き。
どこか複雑そうな茶々丸の視線に、士郎は遠慮するものの、エヴァはそうそう食べられる物じゃないからなと、一緒にあった鶉の丸焼きも含め、バリバリ食べていた、バリバリと。
電車へと乗り込み稲荷大社を後にして、桃山駅で下車すると桃山御陵の森へと足を踏み入れた。
静謐な森の空気、玉砂利を踏みしめる音、エヴァたち一行以外誰も居ない空間。
風景を楽しみながら歩いていると、ふと空気が変わった事にエヴァと士郎は気がついた。
「エヴァ」
「ふむ、人払いの結界か?」
鬼が出るが蛇が出るかと警戒する士郎とは対称的に、エヴァはそんな物なんのそのと、気にする事無く歩き続ける。そこへ木々の合間から一つの影が飛び出して玉砂利が鳴った。
「どうも〜神鳴流です〜」
どこか力の抜ける間延びした口調に、エヴァ以外の皆の視線が集まる。
「えっと、確か君は……」
ナギ・スプリングフィールドの別荘を根城にして、観光三昧を送っていた時に出会った少女。両手に白木の刀を持つ少女、確か名は月詠。
「――士郎、もう少し行った所に城があるらしいぞ」
月詠の登場にも、何事もなかったようにエヴァは士郎の腕を取って歩き始める。それに倣う様に続くチャチャゼロと茶々丸の従者二人。チャチャゼロは意識しつつケケケケケと笑っていたが。
どうしたもんだと士郎も考えるが、結局エヴァに引きずられるまま。揃って月詠を見なかった事にして脇を通り過ぎていくエヴァ一行。
「あああ! そんな殺生な〜!」
完全無視を決める士郎以外のエヴァ一行に、両手両膝をついて打ちひしがれてしまう月詠。終いにはざめざめと妙にわざとらしく泣き出してしまう始末。
さすがにこれ以上無視するのも士郎的にどうかと思って、溜息をつきつつ足を止めた。
「ちょっとエヴァ、取りあえず話ぐらいは聞いてみよう、な、な?」
「えー、別にそんなの聞く必要ないだろう。そんなものより観光だ」
ものすごくやる気のなさそうな声を出しつつも、足を止めたエヴァ。その隙に士郎は月詠へと向き直った。
「えっと、確か月詠だっけ? 俺たちに何か用事でもあるのか?」
ようやく反応してくれた事が心底うれしかったのか、勢い良く頭を上げて目を輝かせる月詠、目の端には嬉し涙が零れるほどに。
「そうなんです〜! 今お仕事が入ってたんですけど〜、雇い主の千草はんがちょ〜っと懸案事項ができた〜とか言って、今日は様子見なんです」
ちらっと見かけたので付いてきました〜、なんて言いながらえへへと笑う月詠。
月詠の仕事という言葉に士郎は首を捻ったが、エヴァは神鳴流と名乗った事から大方西の術者の護衛でもしているのだろうと中りをつけた。
「それで?」
「試合に来ました〜」
えへへへ、と無邪気に笑う月詠。一瞬その笑みに士郎も頬を緩ませようとしたが、その言葉の内容にはっとして表情を引き締めた。
「試合って、日中の、こんな場所で?」
「はい〜。人払いの結界も敷いてありますから問題はないです〜」
遮音結界も兼ねているので絶対にばれませんよ〜と。
士郎は一瞬悩むものの、殺し合いではなく、単純な力量比べなら受けても吝かではないと、一般人に迷惑をかけないなら尚更だ。それに休みなのに態々来てくれたんだから無碍にも出来ないと。士郎はひとまず、観光目的のエヴァたちに先へ行くようにと口を開く。
「分かった。エヴァたちは先に――」
「――チャチャゼロ、貴様が相手をしてやれ」
士郎の言葉を途中から被せるエヴァの一言。
「え?」
「ほえ?」
唐突なエヴァの言葉にきょとんとする士郎と月詠。それに構わずに尚言葉を続けるエヴァ。
「士郎を相手にしたいなどとは百年早いぞ小娘。どうしてもというならまずはこのチャチャゼロを倒してみろ」
「ケケケケケ、ワカッテルジャネーカ御主人」
鼻を鳴らしながら吐き捨てるように言い放つエヴァと、心底面白いといった様子で笑うチャチャゼロ。月詠もエヴァの言葉に同意するようにチャチャゼロに視線を定めた。
「あらあら、可愛いお人形はんですね〜」
「ガキ、ナカナカ見ル目アルジャネーカ。ケケケケケ」
殺気を漲らせているチャチャゼロを可愛いと形容するあたり、月詠もなかなかどうして常人ではない。だが、チャチャゼロはそんな月詠を気に入ったとばかりに高らかと笑う。
「サテ、ツマラネー会話ハ終ワリニシヨウジャネーカ」
「そうですね〜」
どこからとも無く取り出した、チャチャゼロ自身より大きな大剣と小振りの短刀。それに呼応して月詠も両の刀を抜刀。
――玉砂利が跳ねた。
先に仕掛けたのはチャチャゼロ。
トンっと地面を蹴って宙へと舞うと、身の丈の倍は在りそうな大剣を持ちながら腕を巻き込むように捻り、全身を使って叩きつけようと大剣が走る。
それを月詠は刀を交差させて真っ向から受け止めようとした。
それは過信か、蛮勇か。
チャチャゼロは月詠の行動を見て残忍性のある笑みを浮かべた。
「ナメルナヨ、ガキ」
――接触。
「くぅ!」
鋼が軋み、まるで金属が悲鳴を上げているかの様な音が空間を支配した。
二振りの刀ごと押し潰そうとするチャチャゼロの大剣。
気で自身の身体能力を上げた腕が振るえ、あと数瞬で――。
「ケッ」
――月詠は全てを受けきった。
チャチャゼロの不満そうな声とは対照的に、えへっ、と月詠は笑う。
力を受けきってしまえば、チャチャゼロ自体は軽い人形でしかない。
開放するかのように交差させていた二刀で大剣を振り払い、チャチャゼロを宙高く弾き飛ばした。
そして追撃。
「可愛い、可愛い、お人形はん。もったいないですけどばらばらに解体させてもらいますえ〜。――にと〜れんげきざんてつせ〜ん」
宙に投げ出され、死に体のチャチャゼロに螺旋状の気が迫る。
その追撃が直撃すればチャチャゼロでもただではすまない。
――だが、ここで落ちるようなら、闇の福音の従者の名を遠の昔に返上している。
「残念ダッタナ、ガキ」
ただの飾りとしか思えない背中の翼が羽ばたき、まるで燕のように空を滑る。
「そんなん卑怯や〜!」
「ケケケケケ」
侮る方が悪いと嘲笑。
連撃の斬鉄閃を掻い潜ったチャチャゼロは翼を使い、宙で体勢を整えながら大剣の切っ先を真下に――月詠へと向け、重力を加えての再度の突撃。
加重を加えてのそれは正に砲弾、その上串刺しの如く一撃。
さすがに拙いと思った月詠は地を蹴って後ろに跳ぼうとした。
――弾着と共に衝撃。
大剣の刺突を躱した月詠に飛来する、余波とも言える視界を覆う玉砂利の礫。
「む〜」
飛び散る玉砂利の弾幕を、月詠は後に跳びつつも捌く。
無論防戦だけで済ませる月詠ではない。
玉砂利全てを捌ききったのと足を地に付けたのは同時。
クスクスと笑いながら玉砂利を切り払った返す刀で追撃。
手に持つ二刀に気を宿し、空を走らせる。
「にと〜れんげきざんく〜せ〜ん」
曲線状に放たれた気の連撃がチャチャゼロを襲う。
斬鉄閃より貫通力は無いものの、疾風の如く間を翔けた。
「芸ガナイゼ? 神鳴流」
チャチャゼロは翼を使う事無く、深く地面に突き刺さった大剣の柄を足場に、まるで曲芸のように宙を回転し、曲線状の気を思いの他あっさりと避けて短刀五本の投擲までしてみせた。
「ドウヨ?」
「あらら〜」
だかそれはあっさりと二刀によって弾かれたが、チャチャゼロは特に関心もなかった。
神鳴流相手にこんな手慰みな投擲など防がれて当然、だが追撃を妨げる牽制としては上々。
知ってか知らずか、月詠は短刀の投擲を二刀で弾いた体勢のまま残心。
チャチャゼロは重力に引かれるままに、体全身を使って巻き取るように深く地面に突き刺さった大剣を易々と引き抜いて、肩に担ぎ直した。
十秒にも満たない一連の攻防
そして、振り出し。
「ふふふふふ」
「ケケケケケ」
両者ここに来て大きく間合いを開けたまま、互いの顔を見て心底楽しそうに不敵に笑う。
予定調和の、殺陣かと思うほどの攻防。
華奢で小さい人形の体のどこにその膂力があるのか、己の体の一部の様に軽々と大剣を操って見せたチャチャゼロ。さすが齢500を超える吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに昔から付き従う従者。
だが、そのチャチャゼロについていく年端も行かない少女、月詠もまた侮れる物ではない。化生を調伏する為の神鳴る剣、神鳴流を古くからある野太刀ではなく、取り回し優先の為に二刀に代えて使いこなす使い手。
互いに小手調べの領域を出ない、ただじゃれあった程度の物。それでも十把一欠片の者には付いていけない攻防。
次に展開される攻防は――
「……飽きた」
「って、エヴァ!?」
胸の前で腕を組んでいたエヴァは、腕を解いて軽く欠伸を噛み殺す事もせずに大口を開けて、全てを台無しにするような事をのたまってくれた。
「それでな士郎、もうすぐ見えてくるのは伏見桃山城といってな――」
もうエヴァにはチャチャゼロと月詠の戦闘は眼中に無いようで、士郎の袖を捕まえて薀蓄を語りながら歩き出そうとする。
「ちょっ、エヴァ! このまま放っておいていいのか!?」
「いいぞ」
あっけらかんと言い切ったエヴァに士郎は頭を抱えた。
「人払いの結界は張ってあるのだ、一般人に危害が及ぶ事もないだろう。……士郎、まさか貴様、私よりもこんなのの方がいいのか?」
おろ? っと小首を傾げる月詠。何時の間にか手を止めて指を刺すエヴァを見ていた。
仕方ない、幻術を解いて十歳児に……いやここはもう少し成長させた方がいいか? など思考に埋没するエヴァ、チャチャゼロに笑われているのにも気づかずに……。
「いやいやいやいや違うから。そういう事じゃないから!」
「だったら何だというのだ! はっきりと言え!」
なんでそこで怒るんだと、士郎は頭を抱えたくなったが、なんとか自己を取り戻して口を開く。
「ほら、もし何かがあった時の為に誰かが居た方がいいだろ? どちらかが怪我したり、仲裁役とか、それにもし何かの手違いで一般人が入ってきた場合の対処とかさ」
エヴァを何とか説得する為に、あれこれと言葉を重ねたり、身振り手振りで自分の心意を伝えようとする士郎。不機嫌そうに眉を顰めて聞いていたエヴァだったが、何を思いついたのか手を叩いて不意に笑みが広がった。
「ふむ、士郎の言う事ももっともだな。茶々丸、こいつらをテキトーに見張っていろ、別に見て無くてもかまわんがここに居ろよ? 私は士郎と二人っきりで城を見に行くから」
「…………」
これは名案だとこくこくと何度も頷いていたエヴァだったが、自分の従者からの返答が無い事に怪訝な表情を向けた。
「茶々丸?」
「…………」
「おい?」
「ハイマスター畏まりました」
「よろしい。では、任せた。行くぞ、士郎!」
エヴァは気にしていなかったようだが、士郎は茶々丸の返事がやけに機械じみていた事に気がついた。悪く言えば棒読みのようで、士郎はなんとかフォローしようと口を開きかけたが、エヴァに腕をとられて有無を言わせないまま、ずるずると引きずられていってしまう。
残ったのは、改めて再開された甲高い剣戟の音と、遠ざかっていく自身の主人と士郎を無言のまま半眼で見ている茶々丸であった。
伏見桃山城を見上げながら、エヴァと士郎は肩が触れ合うほどの距離で、隣り合ってベンチに腰掛けていた。
「チャチャゼロ達、そのままにしてきて本当に良かったのか?」
「まだ言ってるのか? もう過ぎた事だ、気にするな士郎」
魔法的に主人と従者は繋がっているから、本当に何かあればすぐ分かると、今だに気にする士郎に言葉をかけるエヴァ。
「それにしても、やはり日本の昔ながらの風景というのは落ち着くな」
西洋人形のような容姿のエヴァが、お茶を啜りつつそんな言葉を口にするのに士郎は苦笑いを浮かべた。そういえば家に茶室まで有った様だなと。
士郎もエヴァと同じお茶を一口あおり、ぼうっと空を見上げる。
鳥が囀り、羽ばたいていった。
「……平和だな」
「ああ、馬鹿みたいに平和だ」
時々聞こえる野鳥の鳴き声、昼下がりを散歩する老夫婦。脅威も何も無い、安心して無防備になれる空間。士郎は全身の力を抜く様に息を吐いた。
「そ、それでな士郎、わ、私は何故かこんな物を持っている」
そう言ってエヴァがポケットから取り出したものは、竹で出来ている細長い棒上の物で、その先には真っ白な綿が付いていた。いわゆる耳掻きである。
「エ、ヴァ?」
「…………」
無言で自分の腿をぽんぽんと二度叩いた。
そっぽを向きながらも、白い首筋が仄かに赤くしながら。
「え、いや、だから……」
「…………」
無言でぽんぽんと。
「えっとですね……」
「…………ッ!」
無言で――。
「あ、じゃあ、失礼する、な」
「うむ、楽にしていろ」
変な魔力まで感じ始めた士郎は、断りを入れながら体勢を入れ替えて、エヴァの太腿に頭を乗せて横になった。
「まぁ、あれだな。ときどき茶々丸にやってもらっていたが、これはいいものだぞ?」
「いや、それは分からなくもないけど、どうして耳掻きなんて持っているんだ?」
「土産屋でちょっと見つけてな、それでなんとなくだ」
なんとなくか、なんとなくだ。
「……今まで誰かにしてあげた事は?」
「ない!」
胸を張って言い切らないでくれ、と心底思う士郎。
「光栄に思え士郎。貴様に私の初めてをやろうというのだ」
士郎はそんな初めてはいらないと言いたかったが、楽しそうにしているエヴァを見て、今更引けないかと内心で溜息を吐きつつ覚悟を決めた。
「では行くぞ!」
「応」
最初は微妙な力みも感じて緊張していた士郎だったが、エヴァもそれなりにこなれてきたのか、コツを掴んできたのか大分良くなってきた。
エヴァの綺麗な髪が微風に揺られて、頬を撫でるのがくすぐったい。
取れる取れると小さな歓声を上げて、嬉々として耳掃除をしているエヴァに、士郎は初めてなのに上手いなと漏らした。
「ふふん。こんなもの人形を操るより簡単だ」
「人形を?」
「ああ、3kmの広範囲において同時に300は操って見せるぞ?」
「それは……凄いな」
「今度見せてやろう」
ふっと士郎の耳に息を吹きかけ、さあ逆を向けと士郎を転がす。
エヴァに頭を抱えられる様な体勢で、視界を遮られて士郎は目を瞑った。
感じられるのはエヴァの香りと体温、まるで包まれるような感覚。
警戒が常だった日常、それとは天と地も離れた今の状態。
人の温もりというのは、容易く心の壁を溶かしてしまう。
何時以来の本当に心休まる安らぎか……。
うとうととしていた士郎の耳に、再び息が吹きかけられて、はっと目を開ける士郎。
「――すまん、寝ていたか?」
「そのまま寝ていても良かったのだぞ」
体を起こそうとする士郎を、エヴァはやんわりと肩に手を置いて押し留めた。
「……こういうのも偶にはいいだろう」
それは誰に言った言葉だったのか。
士郎は体から力を抜いて、エヴァは微笑みながら視線を上げた。
無言で、穏やかな時。
一陣の風、エヴァはその長い髪を押さえる。
――綺麗だな。
視線を感じた所為か、微笑んだまま視線を落として士郎を覗き込むエヴァ。
「ん? どうかしたか、士郎」
「い、いや、何でもない、気にしないでくれ」
「そうか?」
見惚れていたのを誤魔化す様に士郎は慌てて言葉を出すが、エヴァは気にした風もなく変なやつだと笑って、微笑みを絶やさないまま再び視線を上げた。
内心で安堵の息を吐いた士郎だったが、そこへくすくすと穏やかな笑え声が耳に入ってきた。
「ん?」
士郎が笑い声に反応して視線を向けると、老夫婦がこちらを見て微笑ましそうに笑っていた。なんだろうと疑問に思っていると、エヴァが小さく士郎の名を呼んだ。
「どうかしたのか、エヴァ」
「……なんだか笑われているぞ?」
士郎はどこか警戒するようなエヴァの言葉に、ああと納得して苦笑いしつつ口を開く。
「いや、別に嘲笑されているとかじゃないから気にしなくても……」
「私は気になるのだ」
溜息を一つ吐いて、士郎はマナー違反だなと思いつつ聞き耳を立てた。
士郎は断片的にしか言葉を拾えなかったが、老夫婦の会話は確かに自身とエヴァの事を話しているようだ。
「本当に仲睦まじい――ですね」
今、何て言ったのだろう?
確かに耳には入ったが、今一理解が追いつかないと。
「士郎、今何と言っていたか聞いたか?」
「あ、ああ。一応聞こえてはいたけど?」
――夫婦。
士郎の耳にはそう聞こえた。多分エヴァにも聞こえたのだろうと。
それから間も置かず、綺麗な奥様ですねとも聞こえてきた。
「ふ、ふむ。わ、私たちはそう見えているのか?」
「……どう、なんだろうな?」
士郎は二十台半ば、今の幻影を纏ったエヴァもその位。他人から見れば男女の二人組みなんて恋人、夫婦くらいかと首を捻る士郎。
士郎個人としてはエヴァの事を大切な友人ぐらいには思っている、エヴァがどう思っているかは別として。
恋人のような浮ついた空気はない、と思う。なら夫婦に見られることもあるんじゃないかと結論付けた。逆にエヴァ本来の姿、十歳児のものだったら、下手すれば誘拐犯に見られていたのかもしれないと、益体の無い事も思っていたが。
「まぁ、そういうこともあるんじゃないか?」
「そ、そうか……」
なにやらごにょごにょと言葉を濁していくエヴァ。
そんな話をしながらも、件の老夫婦は寄り添いながら場所を離れて行く。
微妙なんだか、そうでないのか、多少の温度差を抱えたまま二人はそのままの体勢でゆっくりとこの時を過ごした。
伏見桃山陵を一周して次の名所へ移ろうと、チャチャゼロと茶々丸を拾うために、分かれた場所に戻ってきたエヴァと士郎だったが、未だに解かれていない人払いの結界と遠くから聞こえる剣戟の音に顔をしかめる。士郎は長時間戦闘が続いている事に、エヴァは次の名所へ移れないではないかと。
「……別にいいか。士郎、やつらは放って次の場所へ行こうか。次は名水で知られる――」
今日何度目かになるエヴァの変な割り切りのよさに、士郎は頭を抱えた。
「いやいやいやいや、エヴァちょっと待った。さすがに二人を置いていくのはまずいだろう」
「奴らは私の従者なのだから気にする必要はない。それにチャチャゼロのヤツは十分楽しんでいるだろうが」
「確かにチャチャゼロは楽しんでるみたいだけどさ。……あ」
茶々丸がこっちに気がついたのか、何か言いたそうに半眼でじーっとこっちを見ている。
その目は置いて行くんですね、置いて行くんですよね? と物悲しく語りかけているような……。さすがに居た堪れなくなった士郎はエヴァを強固に止めざるを得なかった。
「エヴァ……」
「まったく貴様というヤツは……まぁそれが貴様のいいところなのかもしれんがな」
エヴァは仕方がないと溜息をついて、士郎の手を握ったまま転移術を展開させる。そして月詠の背後から出現したと思ったら――
「きゅう〜」
後頭部に一撃。そんな可愛らしい声とともに月詠は気を失った。
エヴァは懐から一枚の紙を取り出し、文字を書き始める。内容は『戦闘の跡を綺麗にしておけ、それと結界も解いておけ』と。書き終った紙を気絶する月詠の額にそのまま貼り付けた。
「茶々丸、これを藪の中に捨てて来い」
「ハイマスター」
茶々丸は月詠の襟首を掴んで、引きずりながら薮の中に消えていく。その後姿になんだか妙なオーラを感じて、士郎は結界があるなら態々捨てに行かなくてもと口を開きかけたが、結局見ているだけだった。
一方、唐突な横槍で戦いが中断されたチャチャゼロは、恨めしそうにエヴァを見上げていた。
「御主人……」
「あ? チャチャゼロ、貴様が悪いのだぞ。これだけ時間をやったのに、いつまでたっても決着を付けずに遊んでいるから。べ、別に士郎が止めろと言ったからではないからな!」
「…………」
口を尖らせながらのエヴァの言葉に、チャチャゼロは無言のまま溜息をついて、やれやれと肩を落とした。その意味ありげなチャチャゼロの態度に、エヴァは眉を顰めた。
「む、なんだその態度は? ……これから酒蔵へ行くのだ、少しは機嫌を直せ」
「ケケケ、シカタネーナ。家政夫ト酒ニ免ジテ許シテヤロージャネーカ」
「ああ? 偉そうだなチャチャゼロ」
エヴァは不遜な態度のチャチャゼロの頭を軽く小突いて、伏見桃山陵を後にした。
それからは御香宮神社にお参りをして、京都一の名水とうたわれる御香水を飲んだ。造り酒屋が点在し、板塀の建物が風情を醸し出していた。人が集まる所にはまた別の水が湧いており、行く先々で喉を潤し、この水が伏見の酒を作るのだなと。
昔を残す宇治川派流の柳並木、そして川を行く十石舟。
もう少し早い時期にこれていたのなら、桜が咲いてまた変わった趣があったのにと、エヴァは少しだけ悔しそうにして、来年も共に来たいなともらしていた。
日も暮れて、後ろ髪を引かれながらも伏見を後にして、一向は旅館へと戻った。
案の定、夜の宴会では日本酒が主体になって、士郎は終始エヴァに絡まれて潰された。
こうして修学旅行二日目は過ぎていった。
深夜、エヴァは昨夜の様に士郎の頭を膝の上に乗せながら、酔いつぶれて気持ち悪そうな寝顔を酒の肴にして、一人ゆっくりとグラスを傾けていた。
とくとくとくとグラスに酒を注ぐ音と、時折漏れるエヴァの小さな笑い声。
「御主人」
「んー? どうしたチャチャゼロ、貴様もまだ飲むか?」
視線を士郎の寝顔に固定したまま、エヴァは長い時を連れ添う従者にちゃぷんと酒瓶を掲げて見せた。
チャチャゼロはケケケと返答代わりに声を上げて、空のグラスにエヴァから酌を受ける。注がれた薄く色のついた酒を、チャチャゼロは一気にあおった。
エヴァはそれ以上チャチャゼロに関心を寄せることなく、うなされている士郎を楽しむ事へと戻る。士郎を見下ろすエヴァの表情には、嗜虐性も愉悦感もそこには無く、ただただ楽しげな笑みがあった。
チャチャゼロは手酌で酒をグラスに注ぎながら、茶化す事も無く、黙って己の主人にしばらく視線を向けていたが、ふと何を思ったのか口を開いた。
「今日一日、御主人ハ傑作ダッタナ」
「ん? どうしたチャチャゼロ」
視線を士郎に定めたまま、なんとなく気になった程度のエヴァの台詞。
「御主人」
「んー、なんだ?」
士郎の頬をむにむに。
「……アホミタイダゼ?」
「あ? 何が言いたいんだ、チャチャゼロ」
ギギギギギと、錆びた人形の様に振り向く。ただ、目がいい感じに据わっていたが。
「御主人ノ惚気ニアテラレル日ガクルトハナ」
今日一日ホント熱カッタゼ、なんてのたまうチャチャゼロ。
一瞬チャチャゼロが何を示して言っているのか全く分からなかったエヴァだったが、はっと気がついて顔を赤くさせながら口をパクパクとさせる。ある程度自己を取り戻したと思ったら吼えた。
「ちょっと待て! 何時、私が惚気てた!」
「アー、今日一日中アツカッタッテノニ、コノ御主人、気ヅイテイヤガラナカッタノカ、ヤレヤレダゼ」
チャチャゼロは本当にわざとらしく溜息をついて、これ見よがしに肩を竦めてみせた。
「お、おい! 貴様は何を言っている!」
エヴァの慌てた追及すらも、チャチャゼロは視線を逸らしてケケケケケケ。
「コレガ天然ッテヤツカ。俺様覚エタゼ?」
「とっとと忘れてしまえ!」
八つ当たりの如くバンバンと畳を叩くエヴァだったが、チャチャゼロの「家政夫ガ起キルゼ」との一言でぴたりと止まった。それを見て再びチャチャゼロは笑う。
「タイシタヤツダナ、家政夫ハ。ズットコンナ御主人ニ付キ合ッテイタンダカラ。マァ全部オマエガ原因ダケドナ」
げしげしと魘される士郎の脇腹を蹴るチャチャゼロ。
「貴様、何、士郎を蹴ってるんだ! 離れろバカ!」
これ以上士郎を蹴らせるかとばかりに、士郎に覆いかぶさるエヴァ。
「他人ノ事ヲ気ニスラシテナカッタ御主人ガコレダゼ?」
「ふ、ふん! 貴様には関係ないだろうが!」
エヴァはチャチャゼロから士郎を隠すようにして、背中を向けたまま手酌で自分のグラスに酒を注ぐ。
「家政夫ハイイカラ、酒ヨコセ御主人」
「……主人に対してその口の聞き方はなんだ」
「御主人ガ酒クレタラ考エテヤルゼ?」
その気は無いんだろうなと思いつつも、エヴァはしぶしぶと振り向いてチャチャゼロのグラスに酒を注ぐ。その後は一升瓶をそのままチャチャゼロの前に置いて、また背を向けてしまった。一人背を丸めながら士郎に視線を落として、不貞腐れたままちびちびと酒を啜る。
そんな主人にチャチャゼロはやれやれと溜息をついて、エヴァが注いでくれた酒を嚥下した。
互いに無言で、静かに酒を飲む。響く音はグラスの音、酒の音、そして魘される士郎の声だけ。
十分ほどそんな時間が続いて、先に口を開いたのは、またチャチャゼロだった。
「ナァ御主人」
「……何だ」
「家政夫ハ、アノ男ノ代用品ジャネーダローナ」
それは一瞬。
エヴァがチャチャゼロの首を握り締め、片手で宙吊りにしていた。
グラスが飛び、酒瓶が倒れ、酒が畳に染み込んでいく。
「――チャチャゼロ、その言葉を訂正しろ。さすがの私も怒るぞ?」
自分の主人に首を絞められ、空中に吊り上げられ、それでもチャチャゼロはいつものように飄々とした様子でケケケと笑う。それでも、決して目は笑っていなかったが。
「デ、ドウナンダ御主人」
「…………」
主従が視線を交わす。
時が止まったように両者動かず、それでも先に視線を放したのはエヴァだった
エヴァは苦虫を潰したような表情でチャチャゼロをゆっくりと降ろす。
「……さぁ、な。まったく無い、とは言い切れん。だが、だがな、この馬鹿者は私に言ったのだ」
何て、とはチャチャゼロは促さなかった。ただ黙って語られる言葉を待つ。
「あの領主の城を出てから私の居場所なんて無かった。吸血鬼らしい弱点を克服し、貴様という従者を持ち、我武者羅に力を付けて……それでも居場所なんて出来なかった。腰を一時下ろす場所が見つかっても、いつかは排除される。未来永劫私には居場所を見つける事は出来ないかもしれない。――私と共に居た貴様なら分かるだろう」
「……ケケケ」
エヴァは視線を落として、壊れ物に触れるように、大切なものを守るように士郎の両頬に手を添える。
「だが、だがな、この馬鹿者、士郎は言ってくれた、一緒に居てくれると。たった一人で居続けた私の隣に立つと。……別れは約束されている。意見の違い、私に嫌気が差した、そんなんじゃない。ただの人間と、真祖の吸血鬼の肉体的ポテンシャルの違い――寿命だ。何十年先の事か分からん、だがこいつの死が絶対の別れになる。ああ、今からでも手に取るように分かる。こいつはきっと謝りながら死んでいく。一人で先に逝ってしまう事を、私を残してしまう事を」
エヴァは顔を上げて天井を見る。それは、流れようとする涙を留める為に。
「……私は結局ナギを捕まえる事は出来なかった。ナギは最後まで私だけを見てはくれなかった。いや本当に、私を見てくれていたのだろうか? 付きまとっていた私に根負けしたからなのか、同情を誘ったからなのか。何にせよ、今となっては何も分からない」
チャチャゼロは飛んだグラスを拾い、倒れた酒瓶を手に取る。空になった自分のグラスにとくとくとくと酒を注ぎ、同じく空になっていた自分の主人、エヴァのグラスにも注ぐ。
「……そういう貴様はどうなのだ?」
「何ガダ?」
「……士郎の事だ」
「ケケケ、俺様ハケッコウ気ニイッテイルンダゼ」
「ならいいだろう」
あのチャチャゼロが、な。
「しかし、貴様の方こそ他人を気にするとはな」
それは始めにチャチャゼロがエヴァへと向けて口にした言葉。
いつもなら愚痴めいた言葉を残すぐらいで、あんな核心的な言葉は吐かない。ナギの代用品、その言葉はエヴァの中で決して無視できない言葉だったのだから。
「言ッタダロ、俺様ハ家政夫ノコト気ニイッテルンダッテナ」
「ふふふ、そうか。……茶々丸のヤツもそれとなく士郎の事を気に入っているようだしな」
「ケケケ、家政夫ノヤツハ俺様タチガ気ニ入ルヨウナ精神操作ノ魔法デモ使イヤガッタノカ?」
「そうかもしれんな」
お互いにそんな事微塵も思っていないのに、互いの言葉に合わせて、そして士郎を見ながら屈託も無く笑い合った。
どのくらい笑っただろうか、ふと色素の抜けた白い髪、士郎の髪を慈しむ様に撫でているエヴァを見て、チャチャゼロはだるそうに口を開いた。
「……シカシヨォ、本当ニ腑抜ケチマッタナァ、御主人」
「……そうかもしれんな。まぁこんな世の中だ、いまさら悪名を轟かせたいとも思わん。私の賞金も消え、私の存在すら薄れてしまった世の中だからな」
ヤレヤレダゼとチャチャゼロは肩を竦めて、エヴァは自嘲する。
「ふむ、そうだな、腑抜けついでに高等部とやらにでも進学してみるか?」
「ヒデージョーダンダゾ、御主人!」
やめてくれと悲鳴を上げるチャチャゼロとは対照的に、エヴァはふふふと自然に笑ってみせる。
「だが、この馬鹿者は案外喜ぶかも知れんぞ?」
「……アノ学園嫌イノ御主人ガ。ムムム、アナドレンナコノ家政夫」
「こいつをガキにして、道連れにするのも面白そうではあるな」
くっくっくと冗談半分、本気半分で話すエヴァに、肩を竦めるチャチャゼロ。互いに空になったグラスに酒を注ぎ合い、喉を潤した。
「未来への展望なんていつ以来だろうな……」
「…………ケケケ」
長い時を経た主従の関係。
二人だけにしか分からない想いもある。
それもまた、かけがいの無いもの。
「まぁ、なんだ。高等部に進学するかどうかも、麻帆良を去るかどうかも、全てあと一年麻帆良に通ってからだ。最後になる一年だ。少しは楽しんでみるとしようじゃないか。私たちには時間はいくらでもあるのだ、ゆっくりと考えていこうじゃないか」
「ケケケ。ソウダナ、コノ辺リデ変ワルノモ悪クナイカモナ」
お互いに笑い合って、エヴァは今日何度目となる横たわった士郎の顔を眺める。
そして今まで思う事すらなかった、想いが浮かんでくる。
――永劫に手に入らないと思っていた、幸せというものがもしかしたら見えてくるのかもしれん。
それは声にならず、誰にも知られる事無くエヴァの心に浮かび、染み渡って行った。
長い時を共にした主従を残し、夜は更けていく。
4月24日 旅館
「士郎、貴様いつまで寝ている。もう昼だぞ、起きろ」
エヴァに優しく揺さぶられ、士郎はゆっくりと目を覚ました。
「……あ? ……エヴァ? ――痛っ!」
「二日酔いか? まったくだらしないヤツだなぁ」
エヴァはやれやれと溜息をつきながら、士郎の為に備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して手渡した。
「……ありがとう、エヴァ」
「何、気にするな。たいした事ではないからな」
ふふんと鼻で笑って再び座りなおすと、茶々丸が淹れたお茶をすする。
どこか機嫌が良さそうなエヴァをなんとなく見ていた士郎だったが、布団の上で胡坐をかきながら水を一口、二口と飲んで、いい加減起きないとなとばかりに立ち上がって軽く布団を畳んで部屋の隅へと。
「士郎さんもお茶をどうぞ」
「あ、ああ。ありがとな茶々丸」
「いえ」
エヴァの対面に置かれたお茶。士郎はもう一口だけ水を飲んで腰掛けた。
「楽になったか?」
「ああ、幾分な」
「それは良かった」
ふふふと緩やかに笑うエヴァ。なんとなくエヴァに違和感を覚えたような気がする士郎だったが、きっと気のせいだろうとお茶に口をつける。
「なぁ士郎、もうすぐ昼な訳だが、貴様は何が食べたい?」
昼という言葉に、士郎はそんな時間まで寝ていたのかと軽いく自己嫌悪に陥るが、せっかく意見を求められたのだからと頭を捻る。
「そう、だな。あまり重いものはできれば勘弁してほしい」
「まあ、そんな状態ではな」
くっと笑うエヴァに、士郎は乾いた笑みを浮かべて肩を落とす。
「そうなると飯物よりはつるっといける麺類とかか?」
「麺類……蕎麦とか?」
エヴァが箸を上下に動かすジェスチャーを見て、士郎はなんとなくといった感じで答えた。
「蕎麦、か。確かニシン蕎麦が京都の名物でもあったな。……よし蕎麦に決定だ」
まだ初夏ともいえない時期だが、さっぱりとしたモリもいいし、カケもいいかもしれないと、士郎もエヴァの言葉に同意とばかりに頷いた。
「茶々丸、内線で近場のうまい蕎麦屋を聞け。10分も待たないからな、注意しろよ?」
「はい、分かりました」
一瞬士郎は代わろうかと茶々丸に腰を浮かせて声をかけようとしたが、エヴァ、茶々丸共に座っていろと視線で促されておずおずと腰を下ろす。後ろでチャチャゼロがケケケケケと笑っていた。
茶々丸は五分とかからずにお勧めの蕎麦屋を聞き出し、店名と簡単な地図をメモるとそれをエヴァに手渡した。士郎の方もいつでも出かけられる様に浴衣から私服へと着替える。
さて準備完了とエヴァが立ち上がり、士郎もそれに続く。ただ茶々丸とチャチャゼロだけはそのまま腰を上げなかったが。
「茶々丸? チャチャゼロ?」
「私は飲食店に入っても食事はできませんので、姉さんと一緒に旅館で待機しています」
「いや、それでも……」
納得していない士郎に茶々丸ははっきりと首を振った。
「それに旅館の方がお店の方に予約を入れて頂いたのが二人だけですから」
尚も食い下がろうとした士郎だったが、エヴァが待ったをかけた。
「士郎そこまでにしろ。茶々丸の気遣いだ、ありがたく受け取れ」
「……ああ、分かったよ。ありがとな、茶々丸」
士郎の言葉に茶々丸は首を振って、気にしないでくださいと。
「それでは行ってらっしゃいませ、マスター、士郎さん」
「留守は任せたぞ」
「ケケケ、ダレニ物ヲイッテイルンダ御主人」
チャチャゼロの言葉にエヴァはふんと鼻を鳴らし、背を向ける。
「ごめんな茶々丸、俺とエヴァだけで行く事になって」
「いえ、私のことなど気になさらずに楽しんできてください」
「オイ家政夫、俺様ノコトハドウデモイイノカヨ」
「悪かった。帰りにでも何か買ってくるからさ、それで勘弁してくれ」
「ケケケケ、ヨシ家政夫。今晩モ宴ダゼ。今度コソ途中デ脱落スルナヨ家政夫」
「……いやいや、できれば今日は酒盛りは無しの方向で行ってほしいのだが」
ほら肝休日という言葉もあるだろという士郎の言葉を、チャチャゼロはケケケケケと不気味な笑いで黙殺した。
「何時まで喋っている、行くぞ士郎」
「ああ。じゃあ行ってくるな二人とも」
行ってらっしゃいませ、行ッテコイと見送られて、エヴァと士郎の二人は旅館を後にした。
茶々丸から受け取ったメモを頼りに道を行き、目的の店を一目見たときエヴァも士郎も感嘆の息を吐いた。エヴァには敵わない物の、古くからある町屋を改装した店構え。
いつもは予約でいっぱいなんですよ、運が良かったですねと店の人に案内されながら言われた時、エヴァはふふんと得意げに鼻を鳴らせてみたりもした。
小さなお座敷の個室に案内され、士郎は店で手打ちの十割蕎麦、エヴァも同じく十割蕎麦だったが、それに桜エビのかき揚げ、ニシンのしぐれ煮ご飯まで頼んでいた。
互いに舌鼓を打ち、値段も張ったが、確かにそれに見合ったものがあった。
士郎とエヴァは蕎麦屋を出てからは、腹ごなしとばかりにゆっくりと川沿いを歩いていた。
「なかなかの味だったな」
「ああ、本当に運が良かった」
「これも全て私の日ごろの行いがいいからだな」
ふふんと鼻を鳴らして胸を張るエヴァに、士郎は苦笑いを浮かべた。
「悪かったな、エヴァ。俺の所為で今日は観光できないでさ」
「何、気にするな。美味い蕎麦も食えた事だし、貴様と一緒にこうゆったりするのも悪くない」
金糸の髪を風に揺らし、真っ直ぐと先を見るエヴァ。
エヴァの横顔はどこか穏やかで、士郎は目を細めて微笑んだ。
「なんだか今日のエヴァは落ち着いているな」
「まぁ、なんだ、昨日は年甲斐もなくはしゃいでしまったからな……少し反省している」
溜息をついて肩を落としたエヴァに、士郎は静かに笑った。
「……笑うな、馬鹿者」
「ごめん。でも、昨日はエヴァの楽しみだった観光だしさ、別に反省する事もないんじゃないか?」
「……いや、そういう訳でもないんだがな」
はしゃいでいたというより、ただ浮かれていた。そんな事は当然士郎に言える筈もなくて。
「ん? 何だって?」
「何でもない! 貴様は気にするな!」
思わず士郎に噛み付いてしまって、エヴァはバツが悪そうに顔を逸らして空しさに肩を竦めてしまう。
あまり突っ込んで聞くのも良くないと思って、話題を変える為に士郎は別の事を尋ねた。
「エヴァ、今日はゆっくりするとして明日はどうするんだ?」
「明日か? ヤツの別荘の鍵を返しに詠春の所にでも行くか……。もうあそこに用は無いからな」
「そういえば借りっぱなしだったか……。今からでも返しに行った方がいいんじゃないか?」
忘れていたなら早く返した方がいいと言う士郎に、エヴァはむすっとした表情を向ける。
「士郎、今日はゆったりすると言ったばかりだぞ。それにだ、多分今日辺りは向こうも取り込み中だろうからな」
「……取り込み中? 明日なら大丈夫なのか?」
「ああ、多分な」
士郎の疑問に、エヴァは旅館の部屋を取り付けた時に、学園長から聞いた事を思い出しながら飄々と答える。
今日、坊やが詠春に親書を渡しに行ったはずだから、明日には関西呪術協会の本山に自分が出向いても大丈夫だろう。まぁ、あくまでも今日何もなければだがな。
「士郎」
「ん?」
「全てはこれからさ」
――私も貴様も、な。
良く分からなさそうな表情を浮かべる士郎に、エヴァはふふふと楽しそうに笑って誤魔化した。
夜。士郎の土下座で三日連続となる宴会は何とか回避され、茶々丸の淹れたお茶で帰りがけに士郎が買ってきた茶請けをつついていたエヴァに、近衛近右衛門から一本の電話が入った。
テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学
- 2008/12/20(土) 06:07:48|
- 折剣時去化
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